大和撫子はなぜ美しい?|麻と暮らしの物語

大和撫子はなぜ美しい?
日本人、その性格は他人に対して愛情深く、本音と建前の両面を持ち、複雑な心情構造を持ち、古来より割り切らない性格だったのではないでしょうか。
生きていくうえで、日本人が生み出した知恵の一つが「祓い、清め」です。
自分自身では捨てられない心を祓い・清めて新たな気持ちを手に入れていました。私たちはふり払いながら進んできました。
もし、あなたが「周りの人に合わせる、気を使う性格の持ち主」ならば、共鳴、共感ができる日本女性の素晴らしい点をお持ちなのです。
日本女性は共鳴、共感ができる素晴らしい女性なのです。
しかし、共鳴共感は「祓い、清め」ができる環境があってこそ、ストレスを残してしまいます。
日本人が生み出した知恵である麻による「祓い」を手に入れ、
日本女性がより美しく、より清んだ生活を手に入れてほしい。
「麻」はどのように日本の暮らしに寄り添ってきたのでしょうか。
「麻の物語」をご紹介いたします。

麻の物語
春夏シーズンで活躍するリネン素材
通気性抜群、さらっとした着心地で人気ですよね。
こちらも「麻」です。
多種多様な素材が使用される現代においても麻は必要とされていますが、
物の少なかった時代においても特別な扱いを受ける素材。
それが「麻」だったのです。
「麻の物語:天の岩戸開き」
古事記の有名なお話の一つです。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)という女性の神様が天の岩戸にお隠れになられたために、外は太陽の輝きが消えてしまい、真っ暗になってしまいました。
八百万の神々がどれだけ出てきて欲しいと伝えても出てきてくれはしません。
そこで、岩戸の前で(アマテラスが隠れている部屋の前で)
(中略)
榊(さかきの)の枝に多くの勾玉を飾り、中の枝に八咫鏡を取り付け、下の枝に白と青の布帛(麻・絹)を垂らした「飾り木」を作り、祭祀の神フトダマノミコトがその「飾り木」を捧げ持ちます。
天照大御神を誘い出すための大宴会を行い、ひっくり返した桶の上で天宇受賣(アメノウズメ)が踊り出し、天宇受賣につられて八百万の神々も踊り出しました。
「どうして外はにぎやかに笑い踊っているのだろうか?」
ちょっとだけ岩戸を開けて、さらに岩戸を開けて、岩戸からほんの少し体を乗り出しました。その瞬間隠れていた手力男(タジカラオ)が天照大御神の手をつかみ、怪力でぐいと外に引っぱり出したのです。そして、すぐ岩戸に『しめ縄(麻)』を張り、こうして世界に光が戻りました。
なんだか幸せなお話ですよね。
暗く落ち込んだ友達を遊びに連れて行った。
といった私たちにも身近なお話をしているようですが、
これは和銅5年(712年)に作られたというお話です。
天照大御神が「騙された!!」としめ縄を破り去らないところをみると神様らにもしめ縄(麻)は特別な力を持ったものようです。
「麻の物語:クシナダヒメ」
ヤマトナデシコと呼ばれる語源になるクシナダヒメがこの天の岩戸開きの後に登場します。
クシナダヒメの持つ女性としての生命力が想像できるお話です。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は聞いたことありますでしょうか?
首が8つある大きな化け物です。
撫でるように大事に育てられた姫「クシナダヒメ」が食べられそうになりますが、スサノオが守ります。
その際にクシナダヒメは櫛となりスサノオとともに八岐大蛇を退治します。
クシナダヒメが剣や刀にならず、櫛に変わり退治するのには違和感を感じるかもしれません。
作者にとって女性の持っている生命力を表わすには剣や刀ではなかったということではないでしょうか。
のちに大和撫子の語源となる女性は凛とした強さを併せ持っていたというお話です。
宮中や神社と麻について
神話の時代から衣食住の中心に麻が使われていました。が、戦後の政策により大麻栽培の罰則が設けられ、急激に姿を消していきました。


戦前の麻の利用を垣間見える宮中や神社など日本伝統を残す場所では麻の文化は残っています。
暮らしの中に麻による「祓い、清め」

複雑な心情構造を持ち、ある数学者は「日本人は情緒に富んでいる。」と表現もされていました。
何ものにも揺れない心を持つことを望まれる時代かもしれません。
それでも心を大切にすることで幸せになる方法があるのではないでしょうか。
日本人が生み出した知恵の一つが「祓い、清め」
自分自身では捨てられない心を祓い・清めて新たな気持ちを手に入れていました。
1300年以上前の古事記ですら、あれほど心豊かな先人たち。
私たちは先人たちの知恵・心のケア方法を大切に思いたいと考えています。